Miles Davis The Greatest History 1955~1969/帯付豪華プレミアボックス/84ぺージ豪華解説書/追悼盤帯付き希少ボックス FreeshippingIconEasyPaymentIcon

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Miles Dewey Davis Ⅲは、1926年5月26日、イリノイ州アルトンに生まれている。歯科医の父と音楽教師の母の元、生後移住したセントルイスの黒人中流階級の家庭でマイルスは育っていった。

 12歳でトランッペットを始め、16歳で週末にはギグに参加、17歳でセントルイスのテリトリー・バンドのひとつ Eddie Randle's Blue Devilsに参加したのがプロデビューといえる。

 高校卒業後、すぐに当時のビバップ俊英たちが集まっていたセントルイスの名門バンド、Billy Eckstine's big bandに加入した。ここでCharlie parker とDizzy Gillespieという「ビバップ革命」を推し進めた二人と邂逅、マイルスは後にジュリアード音楽院となる学校に入学のため憧れのニュ-ヨークに到着する。

 幸運はこの金持ちのボンボンをも逃さなかった。すぐにパーカーのバンドに加入したマイルスは未熟ながら、「時代の寵児」を近くで垣間見ることになる。当時の録音を聞くと、ディジー・ギレスピーのホットな演奏を真似ることなく、すでに個性的なクール・トランペットを目指していたことが分かる。マイルスがジャズにとって最も大切なことを「オリジナリティ」に置いていたことは明らかだ。

 Benny Carter,Billy Eckstineのバンドで次々と演奏した後、1947年、「Savoy Records」に初リーダーセッションを吹き込む。そして、その後も研鑽を続け、初めての「9のつく年」、マイルスはGil Evansの強力を得て、「Royal Roost」出演の後、稀代の名盤『Birth of The Cool』を完成する。

 50年代前半は、麻薬禍もあって、マイルスはアルバム単位では決定的な作品を残していないが、1954年『Bag's Groove』『Walkin'』によって低迷時代を脱出、1955年、Red Garland,Paul Chambers,Philly Joe Jonesのオールアメリカン・リズムセクションを従え、John Coltraneを擁した、「The Quintet」を結成、1956年には、モダン・ジャズ史上最も優れた連作のひとつ「Prestige」マラソンセッション4部作を完成する。

 1958年にはパーカーの死と同時に現れた新人、キャノンボール・アダレイを擁してセクステットに拡大したバンドで『Milestones』を完成。二番目の「9のつく年」、1959年、モード・ジャズに先鞭をつけた、ジャズ史上不滅の名盤『Kind Of Blue』を完成、Bill Evansが一部に参加した。

 1960年代はコルトレーンが去った後、「ブローイング・マイルス」の時代が到来、『My Funnny Valentine』をはじめ多くの名ライヴ盤を残す。1964年、Wayne Shorter, Herbie Hancock,Ron Carter,Tony Williamsを得たマイルスは、1960年代最強のバンドを結成、「フリージャズ」への答えを、モード手法とグループ・エクスプレッションで出して見せた。しかし、『Live At Plagged Knickel』に記録されたように、ハービー以下バンドメンバーはフリー・ジャズの影響下にあった。

 『Miles In The Sky』でヒントを見せたマイルスは、三番目の「9のつく年」、1969年、『Bitches Brew』を発表。“30年先を行ってる”“世界一のロックバンドを作ってやる”など、名言を残しつつ、ジャズのアルバムとして異例の売り上げを記録、ロックの殿堂、「フィルモア・イースト」「フィルモア・ウエスト」を“制覇”した。

 『On The Corner』でポリリズムを提示した後、休養を含んで、マイルスは“低速の時代”に突入、しかし、日本公演を記録した『パンゲア』『アガルタ』は、時代の潮流を感じさせる演奏となっている。

 休養を余儀なくされ、4番目の「9のつく年」1979年は録音はなかった。1980年代マイルスはポップなヒット曲をレパートリーにしたり、スクリッティ・ポリッティと共演、サウンドトラックの仕事もこなし、5番目であり最期の「9のつく年」1989年、『Amandla』を残したが、かつての帝王ぶりは望めなかった。1991年、黒人音楽に君臨する、Quincy Jonesとの『Miles & Quincy Live at Montreux』を録音後、9月28日、西海岸Santa Monicaで死去した。

 マイルスの影響は、トランぺッターとしては、Wallace Rooneyに最も強く、演奏の音楽観などはジャズのジャンルに留まらず、広がっている。さらに、シンディ・ローパーのヒット曲“Time After Time”をヒットさせ、レパートリーとした。後年は絵画にもいそしみ、オリジナリティを発揮した。

 そのファッション・センスや音楽のストラクチャリングにおける卓抜した先見性は、ビル・エヴァンス、ジョン・コルトレーン、ハービー・ハンコック、マイケル・ヘンダーソン、デイブ・リーブマン、ビル・エヴァンス(sax)ジョン・スコフィールド、マイク・スターン、ほか数え切れない俊英たちをジャズ界に送り出した。

 タレントスカウト、音楽監督、ミュージック・コーディネイター、さらに「時代の道先案内人」として、マイルス・デイヴィスの残した偉業はいまだにすべてが理解を超えている。

 年々、「マイルスの子供たち」によって、発売される作品がジャズを新しい進路へと導いているか、マイルスは黄泉の国から見守っているに違いない。
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