大日本帝国 日本の航海練習船 大成丸(たいせいまる)初代 生写真 EasyPaymentIcon

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日本の航海練習船初代大成丸のオリジナル生写真です.
 停泊は、マニラ湾と思われます。

1942年9月1日 Associated Pressで使用されたもの。

アメリカの新聞に使用されたもの。
当時のままです。
 
サイズ:約22cm x 14.5cm
背景:川崎造船神戸工場で起工、1903年12月2日に進水、大成丸と命名された。日露戦争開戦の年に竣工した本船は海軍に徴用され、試運転後は帆装を取り外し輸送船として軍事輸送に従事した。
その後、徴用を解かれ、帆装を復旧して練習船として復帰、1906年10月に最初の遠洋航海を行った。
1910年10月26日、本船は第6次遠洋航海として横浜港から一度目の東回り世界一周航海に出発した。実習生94名を含む154名が乗船、出発前日には当時の逓信大臣後藤新平が来船、訓示の後、自署入りの扇子とハンカチを乗員全員に贈った。フランス領タヒチフォークランド諸島スタンリーケープタウンメルボルンを経由、2度の暴風に遭遇しながらも航海日数307日、航海距離約56,300kmを経て、1911年8月25日に横浜港に帰港した。
1912年7月上旬、本船は館山港から再び東回り世界一周航海に出発した。実習生125名を含む180名が乗船、サンディエゴケープタウンセントヘレナリオデジャネイロフリーマントル南洋諸島を経て帰港したが、北大西洋を航行中に明治天皇崩御の報に接したのを皮切りに、2度目の世界一周航海は苦難の連続であった。サンディエゴで船長が突如下船、後任の船長が赴任するまで47日間に渡って同港で停泊、その間に三等運転士が病死した。その後も、無風、荒天に見舞われ、南インド洋では一月余り晴天がなく栄養失調もあり、70名以上が脚気を発症、学生2名、大工1名が病死した。航海日数456日、航海距離36377海里を経て、1913年12月中旬に帰港した。この航海には、後に初の労働大臣となる米窪満亮が乗船しており、乗船記を「大成丸世界周遊記」として東京朝日新聞に連載、夏目漱石の激賞を受けた。周遊記は米窪太刀雄の筆名で『海のロマンス』と改題して単行本として出版され、漱石が序文を寄せた。この単行本はベストセラーとなり、商船学校や海軍兵学校への志願者が増加したと言われている。


その後、練習船として遠洋航海を続けたが、1941年に再び海軍に徴用され、帆装を取り外し輸送船として石炭輸送に従事した。本船は行動可能な状態で終戦を迎えたが、直後の1945年10月9日11時頃、神戸港内で米軍の残存機雷に触雷して沈没、実習生31名が死亡した。

 

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