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ご覧頂きありがとうございます。こちらの商品はアルモデルのマロネ39 品番:K0415を以下のように加工し、マロネ39 3としたものとなります。
【加工点】
・帯色はGM青22号で塗装、車体色はジェイズ戦前客車色で塗装
・屋根はジェイズ暗い屋根グレー用灰色で塗装、ベンチレーターはKATOスハ43用を使用
・カプラーはKATOカプラーを使用
・TR73台車にはスポーク車輪を採用
・ドア窓が大型窓のマロネ39 3を再現
・ドア上行燈「2等寝台」、車番「マロネ39 3」、所属「東シナ」、種別サボ「急行」、号車札「3」、列車サボ「銀河」を貼り付け済み
・昭和27年以降の表記方法で製作
・特徴的な内装を再現
・ハシゴの展開された状態を再現
・半光沢仕上げ
【実車について】
実車は昭和8年にマロネ37400として登場したツーリスト式寝台を有する2等寝台車で、14両が戦中にマハ47に改造され戦災廃車を除く戦後に残った9両うち3両を昭和25年に4人寝室を8区画有する2等寝台車に再改造して登場したマロネ39です。
上記の一文だけでは何が何だか意味不明ですが開き直ってマロネ39のみの説明をします。
戦後、日本は連合軍の統治を受ける事になったのは周知の事実ですが、連合軍の国内移動に鉄道が用いられることになると国鉄(当時は鉄道省)の客車が「連合軍専用客車」として接収を受け、優等列車も米軍・連合軍関係者に限っての運行となっていて1等寝台車と2等寝台車のほぼ全てを接収されてしまいました。
戦後、日本人でも使用可能な寝台車はまず昭和23年に1等寝台車のマイネ40が登場しましたが、2等寝台車の復活は昭和24年の特急「へいわ」の復活より後の昭和25年、このマロネ39が起点となっています。
昭和24年9月に急行「銀河」がデビューし、開始から9日後には1等寝台車のマイネ40とオロ40のような2等座席車とオハ35のような3等座席車のみで構成された極端な編成が半年ほど続き、やっと日本人も利用可能な2等寝台車としてマハ47を定員増のため新たな寝台配置で復活させたのがマロネ39です。
マロネ39はその翌年に登場したスロネ30の内装テスト版のような存在で、戦前のツーリスト式寝台に戻すのではなく片方のデッキを埋めて洗面所・トイレを設置した上で給仕室の配置を変更して4人区分寝室を8区画用意した当時全く新しい2等寝台車として急行「銀河」にてデビューします。
ところが、華やかな登場とは裏腹にマロネ39もスロネ30も当時の治安面から区分寝室としたものの、相席であるのが不評を招き、イネ廃止によるロネのABC区分化では最もグレードの低いC2等寝台扱いになり、登場から10年と経たぬ昭和30年代前半には定期運用を無くして団体用になってしまいます。
そんなマロネ39が急行「銀河」で活躍していた時代を再現致しました。窓の隙間から覗く寝台用ハシゴや区分寝室の内装が特徴です。ぜひお楽しみ下さい。
【発送について】
KATO1両用クリアケースに入れての発送となります。
よろしくお願い致します。